○信仰と塩
塩は我々が生命を維持していく上で必要不可欠なものです。
食物の調味料としてはもとより、保存防腐料や医薬品・化粧品・化学製品の基礎原料としても様々な用途があります。
塩の製造や供給が国家の重要な役割の一つであることは、古代から現代に至るまで変わりがありません。
また、世界各地には塩に由来する名を持つ都市や町の名前が多く見られます。
もちろん信仰とも結びつき、古今東西、塩にまつわる様々な逸話を聞くことができます。
例えば『旧約聖書』では、神と人との不変の契りを「塩の契約」という語で表すなど、塩を神聖なものと捉えています。
「レビ記(2.13)」には、神への供え物について、「穀物の献げ物にはすべて塩をかける。
あなたの神との契約の献げ物から絶やすな。献げ物にはすべて塩をかけてささげよ」とあり、イスラエルでは穀物の他、動物の供物にも塩を振りかけました。
また、『新約聖書』の「マタイ福音書(5.13)」にも、イエスが説教をおこなった際、これを聞く人々に対して「あなたがたは地の塩であり、
世の光である」と述べたことなど、旧約における神と人との不変の契りが内面化され、象徴的に表されています。
我が国では、『古事記』『日本書紀』に見える伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)二柱の神が矛で下界をかきまわし、
その矛の先からしたたり落ちた塩が積もって大八島となった神話を始め、製塩を専ら海水に頼ってきたため、
海水を意味する「潮(しお)」とも通じて様々な伝承があります。
このことは、我々に多くの幸を与えてくれる海の豊饒性や清浄性の象徴が、塩に求められたためであるとも考えられます。
奥州一ノ宮の鹽竈神社の御祭神である塩土老翁(しおつちのおきな)は、我が国の製塩の創始者といわれ、
この御分社である鹽竈(塩釜)神社が全国各地の塩に由緒ある土地に祀られています。
鹽竈の社名は塩土老翁が製塩した釜に由来し、この御釜が境外末社の御釜神社に伝わっています。
毎年七月の初めには、海水を満たした御釜を用いて塩を造る「藻塩焼神事」がおこなわれ、古代の製塩法をそのまま現代へと伝えています。
また、海水が地球上の生命の源であり、人の生死に海潮の干満が影響を及ぼしているとされるため、
塩竈神社は安産守護の神として朝野の篤い信仰を集めています。
○清めと塩
さて、塩を清めに用いることについてですが、伝統的な習俗の中に多くの事例を見ることができます。
例えば葬儀の際、会葬者に配られる清めの塩を始め大相撲で力士が土俵上で撒く塩や、
料理店などの店先に盛られる盛り塩にも同様に清めの意味があると言われています。
古くは『古事記』に、黄泉国より戻られた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が自らの体についた穢れを祓うため、
海水にて禊祓(みそぎはらい)をされた故事が記されており、これは民間信仰では「潮(塩)垢離(しおごり)」といって
海水を浴びて身を清めたり、海水を沸かした「塩湯(しおゆ)」が病気治療や無病息災のために用いられるといったことに繋がっています。
これも我々の祖先が塩の持っている優れた浄化力・殺菌力を周知していたためでしょう。
塩が清めに用いられることは、何も日本に限ったことではありません。
『旧約聖書』の「列王記下2.20」には、預言者エリシャが悪しき水の水源に塩を撒くと、たちまちに水が清らかとなり、
死も流産も起こらなくなったことが記されています。ここでも塩には清めの効果があると考えられていたようです。